Interview with Yosuke Otsubo (Evangelist)

大坪洋介のカーライフ最高の1台 バックラーDD2の魅力

BUCKLER DD2
同年式・同ボディー形状では世界に2台しか現存しない1958年式のバックラーDD2。戦後15年間だけ活動した伝説のマイクロカーメーカー、バックラーによって生み出された。同メーカーが製造した車はわずか10モデル、合計生産数275台のみでありつつ、鋼管フレームや当時革新的だったファイバーグラスを用いた外装ボディ、顧客に合わせたエンジンや動力系部品の搭載など革新的で大衆に寄り添ったレースカー作りを行なった。
残りのカーライフを共にしたい
バックラーDD2 大坪洋介
世界に二台しかない
58年式バックラーDD2

伝説のカーメーカー、“バックラー”をご存知だろうか。活動期間は戦後のわずか15年間という短い歴史ながら、革新的な車を生み出した知る人ぞ知るイギリスの小さなカーメーカーだ。そんなバックラーが世に送り出した全10モデルの合計生産数275台の個体の中でも、同年式・同ボディー形状では世界に2台しか現存しない1958年式のDD2というモデルに乗る人物が日本にいる。その人物とは、リーバイスやローガンのディレクターとして永年活躍し、1970年代から日本とアメリカのファッションをつないできた大坪洋介だ。これまでの愛車遍歴は数十種類にも上る大坪が、「自分のカーライフにとって人生上がりの車」と呼ぶバックラーDD2。そのように生涯を誓える一台に巡り合うことはどれほど人生を豊かにしてくれるのだろうか。その喜びを大坪が語ってくれた。

「車が誕生して100年以上が経ちますが、その歴史を紐解くとまだまだ見たこともない車が多くあります。数えきれないほどの車が愛車の選択肢となるわけですから、機能や形、サイズなど自分にフィットする一台を探すのは楽しいことです。それはもしかしたら最新の車かもしれないし、もしくは古い車かもしれない。どれがベストなのか知るためには常に様々な情報を集め続けることが大切です。また、自分が選んだ車の魅力を人に伝えることも愛車を持つ醍醐味の一つです。私は自分のカーライフで最高の一台と呼べるバックラーDD2に出会いましたから、DD2の魅力を伝道師として広める役目を感じています。

屋根もパワステもラジオも無い
だからこそ運転に素直に向き合える

その時々のライフスタイルに合わせてさまざまな車を乗り継いできましたが、バックラーDD2ほど“車に乗ること”を純粋に楽しませてくれるものはなかったです。屋根が付いていないから雨の日には乗ることができないですし、パワーステアリングやパワーブレーキも付いていないから長距離移動にも向いていない。もちろんエアコンやラジオも付いていないです。でもそういう制限が多いからこそ、運転できるコンディションが整う瞬間の喜びが格別なんです。天気が晴れているだけでもテンションが上がりますし、愛車に乗れるという素朴な幸せをいつも感じさせてくれます。免許を返納するまでこのDD2に乗り続けたいと思っています。
私のカーライフは20歳のときに友人から譲ってもらったスズキのオレンジ色のフロンテから始まりました。それからはボルボのアマゾンやトライアンフ TR-6、フォードのエコノライン、ジャガーのバンデンプラスからルノーのサンクターボなど様々な車種を乗り継いできました。中でもシトロエンのDSは大のお気に入りで、総数14台ほど所有していました。DSはメンテナンスに手間がかかるので、同時に8台持っていることさえありました。ついには自分でメンテナンスをできるようになりましたし、当時全米中に存在したDSの愛好家会にも全て加入していました。いずれの車もロサンゼルスで30年近く暮らしていた間に乗っていたものですが、ロサンゼルスは車社会のため自動車重量税が安かったり、家には十分なスペースの駐車場が備えられていたりと、車を持つことに寛容な条件が揃っていたんです。その後日本に帰国することになり、日本の生活環境や車事情、メカニックの存在などを考えると、シトロエンDSをはじめとする愛車たちを残念ながら手放さざるをえなかった。沸々とした気持ちを抱きながら日本での私のライフスタイルに合う車を探していた矢先に出会ったのがバックラーDD2でした。当時このDD2を所有していた前オーナーの存在は知っていたのですが、彼に会いに行ってこの個体を見せてもらうと絶対に欲しくなってしまうことはわかっていました。そんな悶々とした気持ちを数年抱えていたのですが、ひょんなきっかけで実際にこのDD2を見にいく機会があり、前オーナーに積年の想いを伝えて譲ってもらえることになりました。そもそも希少な個体は簡単には手に入らないものですし、何事も上を見るとキリがない。だから私のカーライフにおいては人生上がりの車だと思っています」。念願叶って手に入れたバックラーDD2。だが所有しているからといっていつでも乗れるわけではなく、天気や季節、車体のコンディションなど条件が揃う必要があることも、焦ったいが愛車への気持ちを高めてくれるのだ。そもそも車は移動ツールであり、現代の便利なカーシェアリングサービスなどを利用すれば本来の目的は達成されるかもしれない。しかし運転する同じ時間を過ごすのであれば、自分のためだけの愛車に乗ることの方がどれだけ豊かな時を車が人生に与えてくれるかは想像に難くない。バックラーDD2を所有する喜びを語る大坪の柔らかな語り口と表情からひしひしと幸福感が伝わってきた。

クラシックカーを運転するにはドライビンググローブは必需品。大坪は四国のグローブメーカー、カカザンでオーダーメイドしている。DD2のシートのグリーンに合わせたしなやかなレザーを職人が手縫いし、ボタン部分にはリザードのレザーを当てる小洒落たカスタム仕様。ハンドルを握ることですり減る手の内側部分は、穴が開けば新な革を当てて補修し永年使い続けている。
マイクロカーメーカーの父

世界的に希少な58年式のバックラーDD2。情報が溢れる現代においてさえ、DD2に関する情報や記録はインターネット上にはほぼ存在していない。だが大坪はDD2に関して記述された本や文献の一部、歴代の所有者や愛好家から引き継いだ資料などを研究者のごとく集め、丁寧にファイリングしてまとめている。「『A to Z of Kit Cars』というイギリスの歴代のマイクロカーメーカー(キットカーやバックヤードビルダーという呼称を大坪は好まず、小さなカーメーカーという意味でマイクロカーメーカーと呼んでいる)を網羅した書籍があるのですが、冒頭にバックラーのことが記述されているんです。著者はスティーブ・ホールという人物で、イギリスのクラシックカー界隈で名のしれた方です。一体何が書いてあるのかというと、デレック・バックラー氏が1947年に創設したカーメーカーであるバックラーが、その後のマイクロカーメーカーの流れを生み出したというのです。従ってデレック・バックラー氏がマイクロカーメーカーの父であるというわけですね。デレック・バックラー氏が病で倒れてしまったことでわずか15年しか存在しなかったバックラーですが、レースカーとロードカーを結びつけ、後のロータスを始めとするさまざまなメーカーにも多大な影響を与えたのです。幻のカーメーカーとして一部の界隈で語り継がれるバックラーですが、調べれば調べるほど興味深い事実が見つかってくるんです。
バックラーが考案したとも言われている最も革新的なことの一つに、パイプでできた鋼管フレームがあります。中空で軽く、剛性も強い。そして直進性(走行中に路面不整や横風など外部からの影響を受けながらも直進を保とうとする性質)を向上させることができるのです。非常に理に適った構造をバックラーは生み出したわけですね。バックラーDD2は運転席と助手席の2人乗りですが、レースカーでもあるため1人で乗ることをメインに設計されています。だから車の左右重量のバランスを保つために、エンジンは助手席側に倒れるように斜めに積むという工夫がされています。そうすることでエンジンの高さも抑えられてボンネットは浅くなり、車高も低くなることで走行時に受ける風の影響も減らされています。バッテリーも助手席の後ろ側に積まれており、車体にかかる重量の配分も細かく計算されています」。サーキットやレースで走ることを念頭に作られたバックラー。走行時の効率を第一に求め、アイディアを活かしていかにシンプルにできるかに真摯に向き合っているのは、当時の大企業とは異なるマイクロカーメーカーならではの着眼点や趣味のような自由さがあるからだろう。もちろん信頼できる技術やクオリティが裏にはあるからこそで、当時のロータスをはじめとするレーシングカーメーカーの部品の一部をバックラーが作っていたという歴史も残っている。

写真右 エンジンは助手席側に向かって斜めに設定されており、ドライバー1人だけが乗車することをメインに考えて車体の重量バランスが取れるようになっている。

写真右上 DD2には屋根や窓が付いていないため、運転時はゴーグルやヘルメットの着用が必須。右はイギリスの老舗ヘルメットブランド「クロムウェル」のヴィンテージ。真ん中のDD2のカラーにマッチしたヴィンテージ感漂うヘルメットは、フランスのレザーブランド、シャパルのもの。左は助手席に座る大坪の娘のためのヘルメット。大坪はレースだけでなく、日常でもこのDD2をロードカーとして運転している。
写真右下 DD2のフォルムの中でも特に大坪が好きだというフェアリング部分。中には安全対策のロールバーが入っており、その構造を活かした無駄のない美しいデザイン。
機能とデザインの融合美
素晴らしい曲線美のフェアリング

走る彫刻とも表現される自動車だが、機能は形を生むとはまさにその通りで、バックラー社のDD2もその成功例の一つなのだと大坪の話から読み取れる。「外装のデザインとしてすごく好きなのが、運転席後部にあるフェアリング(空気抵抗を減らすための車体部品)ですね。実はこのフェアリングの下には防御バー(ロールケージ)が仕込まれていて、屋根すらないDD2が万(空気抵抗を減らすための車体部品)ですね。実はこのフェアリングの下には防御バー(ロールケージ)が仕込まれていて、屋根すらないDD2が万が一横転しても、防御バーが突っかかりとなって運転席が守られるようになっているんです。鉄でできた防御バーに当たる空気をいかにスムーズに受け流させるかを計算してデザインされたこのフェアリングの曲線美は素晴らしいですね。
ボディーにはファイバーグラス(軽量かつ生産性に優れた素材)が使われています。当時は新素材として革新的だったファイバーグラスをバックラーはいち早く車の外装用として導入しました。そのため私が乗っているDD2は1500ccのエンジンを搭載しつつ、車重を約500キロほどに抑えてレースカーとして望ましいバランスを実現したのです。サーキットやヒルクライムで抜群の動きが可能となりました。
バックラーは第二次世界大戦が終戦した後の1947年に創設されたカーメーカーですが、戦争から解放されて自由を求める社会の気運が高まる当時、モータースポーツに対する人々の期待に応えようとしたのだと思います。ほかの高級メーカーのようにではなく、マイクロカーメーカーとして大衆に寄り添ってモータースポーツの楽しさを広めようとしたのです。15年の活動期間のうちに10種類のモデルを手掛けたのですが、僕が好きなのはDD2一択といっても過言ではありません。DD2は1957年から62年の間に40台作られたモデルで、現在も動く状態の個体がそのうちの10台だけだと言われています。中でも58年式の同形状のボディーは2台だけ現存が確認され、そのうちの1台に私が乗っています。他の年式だとボディー形状やエンジンなどが異なるのですが、私はこの58年式のボディー形状やイエローのカラーリングがとても好みです。ボディーデザインはFerrisde Jouxという、ニュージーランドで最も才能のある自動車デザイナーの1人で、当時フェラーリからの誘いも断った逸話もある人物が担当しました。バックラーは服でいうパターンオーダーのような製造方法を行っていて、鋼管フレームをベースにエンジンなど動力系部品からボディーまでも顧客の要望に合わせて選んで搭載できるようにしていました。そうやって顧客に寄り添って自由に新たな一台を生み出す環境が彼には心地よかったのかもしれませんね」。

DD2に出会う前に大坪が溺愛していたシトロエンDSのミニチュア。大坪のガレージにはこのように車関連のおもちゃや看板、これまで乗った車のナンバープレートなどが所狭しと保管されている。DSのタイヤは全てミシュランだったことから、世界最古のキャラクターとして知られるミシュランマンことムッシュ・ビバンダムのアイテムもコレクションしている。もっとも古いもので1910年代の看板まで掘り出しているほど、好きなものは徹底して掘り下げる大坪らしい一面が垣間見える。
伝道師としてDD2の魅力を発信する
クラシックカーだからこそ
コンディションを仕上げていく

より幅広い人にモータースポーツを楽しんでもらうため、服のパターンオーダーのように鋼管フレームに合わせてエンジンやそのほかのパーツを選べる仕組みを提供したデレック・バックラー。カスタムメイドされる唯一無二の車両には、最初のオーナーの名前が個体名として名付けられることが多いという。大坪が乗っているDD2は「パーキンDD2」という愛称で知られ、最初のオーナーだったピーター・パーキンという人物に由来する。その後の歴代のオーナーの情報や、誰がいつどのようなメンテナンスやフルレストアを行なったかなども細かく記録され、血統書のように保管されている。希少な車だからこそ、丁寧に乗って次のオーナーに受け継ぐという役目も求められるのだ。「58年式のDD2に関しては世界に二台しか存在しないので、歴代のオーナーや関心を持ってくれるコレクター、メカニックなど様々な人が支えがあってこのパーキンDD2は今も走ることができています。あくまでも自分は一時的な預かり人であり、次世代に引き継ぐためにコンディションを整える役目をしているのだという気持ちを常に持っています。できる限りのメンテナンスを行ない、古い車ですが状態を右肩上がりにできるよう努めています。パーツも徐々に買いづらくなってきているので、見つかれば余分に2つ買うようにして、1つは次のオーナーにこの車を譲るときに一緒にお渡しするためのストックにしています。でも一番大切なことは、このDD2を現オーナーである私自分自身が楽しんでいるかどうか、永く付き合っていけるかどうかです。
私と同じようにクラシックカーを愛する人の集いとして、『コッパ ディ 東京』というクラシックカーイベントが東京の港区にあるイタリア街汐留西公園で毎年行われています。アルヴィスTF21クーペグラバーやマセラティ メキシコ、ポルシェ 904GTS、トヨタ2000GTからバブルカーまで、大変珍しい車が一堂に会します。その景色を見られることが毎年の楽しみです。私は今年で4回目の参加ですが、この日に合わせてDD2のコンディションを最高潮に持っていくために日々調整していると言っても過言ではありません。助手席にはコドライバー(ナビゲーターとも呼ばれ、走行の手助けを行う)として親友にいつも乗ってもらうのですが、彼とこの特別な日に車窓から眺める景色はとても感慨深いですね。愛車からの景色は日常を非日常のように輝かしくしてくれますから、その楽しみをより多くの人に伝えるためにも、まずは私自身がDD2とこれからも走り続けたいと思っています」。取材当日、コッパ ディ 東京の会場には自慢の愛車と共に多くのドライバーたちが意気揚々と集まっていた。100台以上の歴史的名車が一つの広場に大集合するその光景は圧巻で、たとえクラシックカーや車に詳しくなくてもぜひ足を運んでもらいたい。なぜなら希少な車の数々を目にすることができるのは当然ながら、オーナーの方達の紳士的な佇まいから学ぶことがきっとあるはずだからだ。永きにわたって大切に乗り継がれてきた車を、大坪同様に現在は自分が預かっているのだという責任と誇りを持つことで紳士的なオーラを放っているのかもしれない。新車であろうが旧車であろうが関係なく、全てのドライバーが自分の車を愛するべきだと改めて気付かされる。大坪は自身のことを「好きなものの魅力を世に広める伝道師である」と称するが、それは誰しもが日々の生活で忘れてはならない美徳ではないだろうか。

全国から希少な車が一堂に集まる首都圏有数のクラシックカーイベント、コッパ ディ 東京の一部シーン。毎年11月23日の勤労感謝の日に行われる恒例イベントで、大坪はこの日のためにDD2のコンディションを最高潮まで仕上げていく。名車の数々をこれでもかと目にすることができるだけでなく、オーナーたちの紳士的な立ち振る舞いを観察することも楽しい過ごし方だ。

大坪洋介
1970年代より29年間をロサンゼルスで過ごす。ローガンやリーバイスのディレクターとして活躍し、アメリカと日本を含むアジア、ヨーロッパなどのファッションや様々なカルチャー、ライフスタイルを繋いできた。

Photo Masato KawamuraInterview & Text Yutaro Okamoto

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