Style File 08 SEEALL Masato Segawa

シーオールの瀬川が話す ものづくりと自身のスタイル

瀬川誠人
シーオール デザイナー。音楽、映画、アートなど様々な分野からのインスピレーションをデザインの着想源にし、国内外の卓越した技術を持つ職人が手がける生地に落とし込んだ服作りを行う。その審美眼によって選び抜かれた洋服や器、家具などをジャンルレスに取り扱うショップ、FAARのディレクターも務める。

Audio
パワーアンプは“マッキントッシュ7220”。プリメインアンプはDJラリー・レヴァンも愛用していたロータリーミキサー“ウーレイ 1620”を使用している。このセットアップは今はなきニューヨークの伝説のクラブ“パラダイス・ガラージ”を参考にしたもの。

Gardening
鬱蒼とした雑木林を8年前から自身の手で開拓している庭には、バンクシアやウエストリンギアなどオーストラリアの植物を中心に、植物の高さや開花時期を計算して植えている。人の手を介入させすぎず、元からある自然の姿を生かした半野生状態が重要だという。
Interview with
Masato Segawa
大切なのは
自身のエゴを入れないこと 瀬川誠人

音楽や映画、アートにとどまらず、器や家具、はたまた世界各国の神話や宗教に至るまで幅広い知識を持ち、それらの知識をインスピレーションにしつつ世界各国の高い技術を持つ職人たちと共に服作りを行うシーオール。「今でも自分のことをデザイナーと思ったことはなくて、あくまでも僕はディレクターだと思っています」。と話すのは、シーオールを率いる瀬川誠人だ。
「職人さんの技術をどのように綺麗に見せられるのかが僕の仕事です。一時的な流行としてのファッション的なものではなく、いかに長く使ってもらえるプロダクトにできるかを考えています」。ファッションではなくプロダクト。シーオールについてこう語る瀬川だが、彼は日々どのようなものごとに興味関心があるのだろうか。

広く、そして深く
知識を体系化して理解する

瀬川の自宅は自然豊かな鎌倉の山間にある。 すぐ側には鎌倉宮があり、一段と澄んだ空気が流れているエリアだ。取材に訪れた日は炎天下が続く8月中旬だったが、瀬川の自宅へと続く石段を登り山に囲まれた彼の庭に足を踏み入れると、鳥や虫の鳴き声が心地よく聞こえてきた。葉の擦れる音は清涼感を漂わせ、茹だるような暑さを一時忘れさせてくれた。いざ自宅へ入り話を聞き始めると、瀬川が持つ膨大な知識と好奇心は幼少期から培われているものだとわかった。「僕は京都の生まれで、京友禅の家系です。父親は絵付け師をしていました。小学生の頃からパンクロックやハードコアに熱中し、好きなアーティストが着ていた服を真似ようとブートのワッペンを母親に貼り付けてもらったりしていました。だからファションへの興味は音楽から始まりましたね。10代は音楽と映画、そして服尽くしの日々でした。特に映画には熱心で、若松孝二監督など日本のカルト映画から始まり、NYアンダーグラウンドのジョン・カサヴェテスやニュー・ジャーマン・シネマのヴィム・ヴェンダース、ほかにもネオレアリズモのロベルト・ロッセリーニやフランスのヌーベル・ヴァーグのエリック・ロメールなど商業的ではない映画を特に観ていました。1日10本近く観たり、オールナイト上映で一人の監督の作品だけを観たりと贅沢な時間の過ごし方をしていました。それが今の自分の基礎になっています。大学3回生の時にロンドンへ留学したのですが、遊学と呼んだ方がいいほど毎日いろいろな遊びをしていました。当時のロンドンは音楽も ファッションもとても勢いがあり、ジャイルス・ピーターソンのDJを聴きに毎日クラブに行ったり、音楽とのリンクが強いファッションブランドのネクストジェネレーションやユーマストクリエイトなどを着てバーウィックストリートにあるレコード屋を渡り歩いていました」。
話を聞いていると彼は自分が興味のあるアーティストや作品、監督などの詳細までを細かく覚えていることに驚いた。インターネットですぐに調べられてしまう現代では、覚える力が弱くなってしまったと感じることは誰しもがあるだろう。瀬川は一体どのようにして膨大な知識を蓄えられているのだろうか。
「頭の中でものごとを体系的に捉えることを癖づけています。ものごとってその瞬間にいいなと思っても忘れてしまうじゃないですか。そうならないために脳内に漠然とした引き出しのようなものをたくさん作るように意識しています。そしてその中に知識を体系化して整理していく。なにか覚えた時にそのことに付随する情報はなんなのかを考えて覚えるようにしています。例えば音楽であれば共演しているミュージシャンは誰なのか、ワインであれば同じ地方でワイン作りを行う農家に誰がいるかなど、点と点を線で繋ぎ整理して引き出しに閉まっていくんです」。

SEEALL
甲斐絹、多摩織などを手がける国内各地の伝統的な生地職人たちや、インドやアルゼンチンなどの織屋さんとも一から生地を制作しているシーオールのアイテム。生地だけでなく陶器もオリジナルで作っており、ボタン(写真下)は粉引を得意とする陶芸作家の山田隆太郎とコラボレーションしたもの。

Kinema Junpo & VHS
10歳頃から見始めた寺山修司やライナー・べルナー・ファスビンダーなどの映画は商業的な映画と違い、作家性や人間臭さが魅力だという。「当時のキネマ旬報はジャンルに分け隔てなく、マイナーなものから大衆的なものまでを辞典のように網羅していて、食い入るように読み込んでいました」。

Vessel
自宅の棚には江戸期の絵付け食器や、現代作家で人気の小野哲平さんの染付、陶胎漆器作家の安齊健太さんの作品など数百枚が並ぶ。瀬川が趣味で行うという中国茶用の器だけでもさまざまなバリエーションが揃う。
偉大な先人から受け継ぐ
ものづくりの精神性

今回の取材の為に用意していただいた瀬川のスタイルを表すアイテムは、どれも彼自身の目で見て、触れ、時には作り手のもとまで足を運んで話を聞き、自分自身の感覚に合うと感じて手に入れたものばかり。世間の意見に流されないものの選び方について、瀬川は茶人の村田珠光の言葉を引き合いにして語ってくれた。
「侘茶の開祖、村田珠光の考え方が現代で失われた精神性の一つだと思うんです。彼は当時のトレンドセッターでした。彼のすごいところは独自の審美眼でものの真価を測れたところなんです。例えば当時雑器だった宋胡録。彼はこれに詫びの美しさを見出し、その価値観を人々に伝えることでそれまでゼロに近かった価値を何千倍にも高めたんです。現代は情報が増えすぎて、本質的な価値よりも情報が先行してしまっていることが多い。既に高値がついているもの、誰かが良いと言ったなど判断基準がもの自体から離れているような気がしていて、それに便乗すれば安心してしまう人が多い。自分の審美眼に向き合うことが少なくなってしまっていると思います。本当は自分の直感を信じて、審美眼を持ってものごとを捉えることが豊かで楽しいことなのではないでしょうか」。
審美眼を鍛えるだけでなく、ものづくりをする上でも村田珠光の考え方の影響は大きいようだ。村田が提唱した『守・破・離』という理念が大切だと瀬川は説明してくれた。「ものづくりにおいて大切なのは、最初は指導者がしていることを学んで理解していくこと。これが“守”です。それが体得できたら、少しずつでも自分らしさを付け加えていく。これが“破”です。そして最終的には自分自身の新たな方法を切り開いていく。これが“離”で、クリエイティブと呼べる部分です。これが『守・破・離』という考え方です。シーオールでは国内外の様々な職人さんと仕事をさせていただくのですが、この精神性を体現されている職人さんはやはりオリジナリティのあるものづくりをされています。日本の生地文化は着物と共に発展してきたので、生地幅が45cmのものが多いです。でも洋装がメインとなった現代では、生地幅が145cmはないとパターンが引けないのです。伝統を守りながら仕事を続けてきた職人さんたちにとって生地幅を変えるのは大きな挑戦になります。しかしシーオールのものづくりを手伝ってくれる職人さんは、たとえば京都の染屋さんは50cmの捺染台を150cmに拡張したり、富士吉田で作られている甲斐絹という絹の帯を手がける職人達はその技術をジャガード織りに活かしたりしてくれました。そうやって伝統を受け継ぎながらも新たな道を切り開いていく方達がいるので、僕はそこに少しでも力になれないかと思い、シーオールを続けているんです。僕は毎シーズン様々な映画や音楽などからインスピレーションを得て制作するのですが、制作過程でそれらのアイディアは昇華されていき、最終的にはミニマルと呼べるような形になります。ただ削ぎ落としていくのではなく、良い塩梅で生地の良さを最大限に引き出す為の引き算をするにはどうしたらいいのか、そんなことを考えながら作っていくので流行に捉われないプロダクトとしての服が完成していくんです」。

Record
パンクロックから始まり、ソウル、ファンク、ジャズ、ハウス、テクノと様々な音楽を聴いてきた瀬川は、現在はアンビエントや現代音楽を聴くことが多いと言う。「ビートから解放されると音楽はこんなに自由なのかと。何かを考えるときに流したり、瞑想的な時間を過ごさせてくれます」。

ノイズを遮断し、
情報を取捨選択する

今回取材を行った鎌倉の自宅は築80年の古民家を改装したものだが、自宅の改築計画や庭の植栽などは業者を入れず全て自ら行ったのだという。以前は都心である恵比寿に住んでいたそうだが、東京での生活から一転してなぜ鎌倉を選んだのだろうか。「昔イタリアに住んでいたことがあります。ヴェネト州という周りにブドウ畑しかないようなところに長くいました。そこから恵比寿に引っ越したのですが、僕は街を少し歩くだけでも様々なことに影響を受けやすく、街中の情報がノイズのように頭の中に蓄積されていく感覚がしんどくなってしまって。だからノイズを遮断するために東京を離れたんです。とはいえいつでも自分から手を伸ばしたら東京へ情報を取りに行ける距離が理想だったので、鎌倉を選びました。実際引っ越してみると山も海など自然に囲まれ、昔からの文化も残っている。清澄白河にある事務所へも車で40分ほどで着くので生活にメリハリも出て、情報社会との距離感を心地よく保てています。特に庭仕事が自分の中では大きいですね。この作業をしている間は、完全に“無”になれるんですよ。まるでアンビエント音楽を聴きながら瞑想をしているような感覚になるんです。仕事の時は頭をフル回転させてものごとを考えているので、庭で草刈りをしたり、鳥の声や風の音を聴きながら作業に没頭していると脳の切り替えができるんです。だから庭があってくれて本当に助かっています。とはいえ元からある自然を壊さないよう、あまり手を加えすぎないようにしています。作り込まれすぎた庭は植物が家具のように扱われていてあまり生きているように見えないんです。だから植えた植物の間には、元から生えている植物も残すようにしています。自然の循環を壊さない、そんな向き合い方が好きなんです」。

瀬川が取材中数多く口にしていたのが「自分はデザイナーではない」という言葉。洋服をデザインするのではなくディレクターとしてプロダクトとしての洋服を作る。それは陶芸家の感覚に近いものがあるのだという。
「今まで100人近い陶芸家さんの窯を訪れました。直感的に良いと思った作品は、なるべくご本人に会いにいくようにしています。実際にどういう背景で作られているのか見て、直接話すことでものづくりへの理解が深まります。そしてそこでの交流がとても新鮮なんです。作家さんは基本的に工房に籠って人と話さない生活をしていることが多いから、僕のようなジャンルの違う人が来ると面白がってたくさん話をしてくれるんです。そこでハイスピードで行われるインプットとアウトプットが面白くて。それに彼らの作品作りと自分の服作りには共通項があると思っています。器も使われるものを作らなければ単なるオブジェになってしまう。洋服も着なければ単なる箪笥の肥やしになってしまう。だから実用的で、着る人のパーソナリティを邪魔しないものにしたいんです。あくまでも道具だからこそ、機能とデザインを同時に成立させないといけない。制限がある中でデザインとして良いものを作り出す。そこの作業に面白さがあると思っています。だから用途があるものはすごく美しいと感じます。 アートのように制限のないものを作り出すことに自分は向いていないんです。自分があくまでデザイナーやアーティストではなくものを作る人だと思うのはそういう理由があるからです」。

取材をしていく中で象徴的だったのは「ブランド名をつけることにおこがましさを感じてしまう」という瀬川の言葉だった。
「ネームタグってあるじゃないですか。シーオールのネームタグは、ブランド名をほぼ読めないようにしてあります。それはブランド名で判断されるのではなくてプロダクトとして見てほしいからなんです。着る人がほかの服と自由に組み合わせて楽しんでくれる服を作りたいのです」。自身が好きな音楽、映画、器、そして服作りに携わる職人さんの様子を楽しそうに話す瀬川の姿が印象深いインタビューだった。深い知識と果てしない探究心を持ち、他者への尊敬を自身のクリエイティブに反映する。そんな心持ちが瀬川誠人というスタイルを作り上げていた。

最近瀬川がよく聞くというレコード。2017年に亡くなり神格化したミカ・ヴァイニオのライブ音源やミハル・タートルなどアンビエントが多く並ぶ。「ジャケも音も美しいミュージックフロムメモリーというレーベルは現代版ECMだと思っています」。
Photo Syuya AokiEdit Katsuya Kondo Yutaro Okamoto

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