Travel through Architecture by Taka Kawachi

モダニズム建築の始まりを体感できる フランク・ロイド・ライトが手がけた帝国ホテル

Imperial Hotel
Main Entrance Hall and Lobby
博物館 明治村「帝国ホテル中央玄関」
歴史的価値の高い明治時代を中心とする60以上もの建造物を移築・保存する野外博物館。国の重要文化財も11件含まれており、受け継がれるべき近代日本の時代感を再発見し体感することができる。中でも帝国ホテル中央玄関は、フランク・ロイド・ライトが手がけた日本にある貴重な3つの建築のうち1つであり、モダニズム建築の礎となっている。愛知県犬山市内山1
モダニズム建築の始まりを体感できる
フランク・ロイド・ライトの置き土産
河内タカ

時代を超えて語り継ぎたい、そして実際に訪れてその魅力を体感してほしい。そんな日本国内の名建築を紹介していく新連載。その第一回目として選んだのが、「近代建築の三大巨匠」の一人として知られるアメリカの建築家フランク・ロイド・ライト(1867-1959)が設計したホテル建築だ。実はライトが日本で手がけた建物は三つある。それが西池袋の「自由学園明日館」(1921)と兵庫県芦屋にある「ヨドコウ迎賓館 (旧山邑家住宅)」(1924) 、そして「帝国ホテル」(1923)だ。このホテルは1968年に建替えのため解体されてしまったが、取り壊し寸前だった中央玄関部分が明治村に移築されたのである。

ライトが設計した帝国ホテルは約4年間の大工事を経て東京都千代田区内幸町に開業した。オープン当日に奇しくも関東大震災が起こったのだが、多くの家屋や建物が倒壊した中でもほとんど被害がなかったほど屈強な建物だった。創建から取り壊しまでの40年余りの間、国内ではほかに類を見ない別格の高級ホテルとして海外にまで知れ渡っていたわけだが、どこかメキシコのジャングルに築かれた古代マヤ建築を思わせる不思議な外観は、これが本当に東京に実在していたのかと思うほど。その荘厳な佇まいにまず見入ってしまうはずだ。


ここを訪れるまでは僕も「移築だし、そんなにたいしたことはないだろう」とさほど期待をしていなかったのだが、明治村の中でも人気スポットであるこの傑作を一目見るなり、感動のあまり言葉を失ってしまったほどだ。それは圧巻の外観だけでない。エントランスを通り抜けた後に広がる3階まで吹き抜けの劇的な光景は、ライト晩年の傑作であるNYのグッゲンハイム美術館のドラマチックな演出にまっすぐ通じているし、天井と床面が交差しあうように変化をつけた構造や、大谷石とテラコッタを使った当時の職人たちによる驚くべき意匠は今もなおその輝きを失ってはいない。


この吹抜けのロビーで目にする家具、照明器具、装飾彫刻にいたるすべてにライトのデザインは行き届いている。例えば複雑な彫り物がほどこされた大谷石、素焼テラコッタの装飾が覆い尽くす壁や柱、様々な角度から自然光が入ってくるその空間は、重厚さと軽やかさが同時に感じられ、まさに計算され尽くした絶妙な演出がなされているのである。残念ながらライトは諸々の理由で建設中に解任されてしまったのだが、弟子の遠藤新が統括指揮を継続し、予算を大幅にオーバーしながらも紆余曲折の末に今からちょうど100年前に完成したのだった。

さて、この建築のためにライトの片腕として来日したアントニン・レーモンドのことも書いておく必要があるだろう。レーモンドは設計施工の助手として完成後そのまま日本に留まったのだが、このことはライトの日本への大きな置き土産となったといえる。というのも、レーモンドはそれから歴史に残るモダニズム建築を日本の各地に残すことになったばかりか、前川國男や吉村順三やジョージ・ナカシマといった名だたる建築家たちが彼の事務所から巣立っていったからである。レーモンドがいなかったならば、戦後のモダニズム建築の流れは異なっていたのは間違いなく、彼とライトの来日のきっかけとなった建物が今もオリジナルに近いまま残されていることが、どれほど重要な意味を持っているかを理解してもらえるはずだ。

河内タカ
長年にわたりニューヨークを拠点にして、ウォーホルやバスキアを含む展覧会のキュレーションとアートブックや写真集の編集を数多く手がける。2011年に帰国し主に写真関連の仕事に携わる。著書に『アートの入り口 アメリカ編&ヨーロッパ編』『芸術家たち 1 & 2 』などがある。

Text Taka KawachiEdit Yutaro Okamoto

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