ART Bird in Space CONSTANTIN BRANCUSI
彫刻と空間の関係性を表現した コンスタンティン・ブランクーシ
1876年にルーマニアで生まれ、1904年にパリにやってきたブランクーシ。彼は1957年に没するまでパリで暮らし、作品の大半をそこで制作した。そのブランクーシはちょっと変わった遺言を残している。すでに高い評価を得ていた彼の作品をフランスに寄贈し、また自身のアトリエを保存してほしい、というのだ。作品を受け継いでほしいというアーティストは多いけれど、アトリエを残してほしいというアーティストはそう多くはいない。彼の望みは1962年、パレ・ド・トーキョー内に部分的に復元されたアトリエという形で実現し、77年にはポンピドゥー・センターの向かい側にほぼ完全な形で復元された。現在、ポンピドゥー・センターの前庭にある「ブランクーシのアトリエ」は洪水のため閉鎖された後、建築家のレンゾ・ピアノによって再建されたものだ。137点の彫刻作品、87の台座、41枚のスケッチ、2点の絵画、そして1600点以上のガラス乾板や写真のプリントが保存されている。
ブランクーシがアトリエを残すことにこだわったのは、彼にとって彫刻とほかの彫刻、彫刻と空間との関係性が最も重要だったからだ。アトリエに批評家やパトロンを招いて自作を見せるとき、彼は彫刻の配置やガラスの天井から入る光の位置に細心の注意を払っていた。晩年には新しく作品をつくるのはやめて、すでにある彫刻をどこに配置するか、それだけを考えていた。作品が売れると石膏で複製をつくりその作品が元あった位置に置いたという。
そのアトリエの壁は真っ白だ。ブランクーシにとって白は特別な色だった。一時期、ブランクーシのもとで働いていたイサム・ノグチは「(彼のいるところは)何処でも、すべてが真白でなければならなかった」と回想している。美術評論家の中原佑介はルーマニアにあるブランクーシの生家の白い漆喰壁に言及している。「(アトリエは)ブランクーシにはほかのどこにもない聖なる空間にほかならなかった」(*)。
その聖なる空間から生まれた彫刻は、初期の具象的なものからより純化された、抽象度の高いものへと変化していく。モチーフが魚、鳥、人などであっても大胆に抽象化されていて、もとの形とはかけ離れたものに見えるものもある。なかでも鳥をモチーフにした「空間の鳥」のシリーズは刀のようなシャープな造形だ。「鳥そのものではなく、飛ぶということ、飛翔の本質を表現したい」というブランクーシの言葉は有名だ。
1910年、ブランクーシはマルセル・デュシャンらとともにパリで開かれた航空ショーを訪れる。そこでデュシャンはブランクーシにこう言ったという。「絵画は終わった。このプロペラより美しいものが作り出せると思うか?」「空間の鳥」は風を切るプロペラとよく似た形をしている。このシリーズにまつわる話には続きがある。パリからアメリカに作品を送った際、税関で関税をかけられた。当時、芸術作品は無関税だったが機械部品には関税がかかることになっており、ブランクーシの作品は芸術ではなく機械だと認定されてしまったのだ。ブランクーシは後日裁判を起こして、徴収された関税を無事取り戻すのだが、この一件は機械に美を見出す「マシン・エイジ」を象徴するできごとだろう。
その一方でブランクーシ自身は手仕事にこだわった。当時、石彫は機械で行うのが普通だったのだが、彼は手でこつこつと彫っていくことを好んだ。「空間の鳥」などのブロンズによる作品も研磨機を使わず、手で磨きあげている。「眠れるミューズ」のような卵型の作品の中には「盲人のための彫刻」と題されたものもあり、実際にブランクーシは目を閉じて自分の膝の上に置いた作品を触って楽しんでいたという。彼は積極的に人と交わるような、人付き合いがいいとは言い難い性格だった。何人かの恋人はいたけれど結果的に生涯、結婚はしなかった。天井のガラスから柔らかい光が入る白いアトリエで一人、石やブロンズとたわむれる、そのひとときが彼にとってほんとうに至福の、そしてcomfortableな時間だったのだろう。
※参考:中原佑介「ブランクーシ」美術出版社、1986年
コンスタンティン・ブランクーシ
ルーマニア、ホビツァ出身。ブカレスト国立美術学校に学んだ後、ロダンのアトリエに助手として招き入れられるも、短期間で離れ、独自に創作に取り組み始める。同時期に発見されたアフリカ彫刻などの非西欧圏の芸術に通じる、野性的な造形を特徴とするとともに、素材への鋭い感性に裏打ちされた洗練されたフォルムを追求。今年3月末に日本の美術館で初となる包括的な展示がアーティゾン美術館にて開催される。
ブランクーシ 本質を象る
アーティゾン美術館6階展示室
東京都中央区京橋1-7-2
2024年3月30日(土)-7月7日(日)
Text Naoko Aono | Edit Takayasu Yamada |