Travel through Architecture by Taka Kawachi
日本の木造建築美を コンクリートで表現した傑作 河内タカ

香川県高松市にある「香川県庁舎東館」(以下:庁舎)は、丹下健三が設計した初期の傑作であり、丹下のその後の輝かしいキャリアを積み上げていく上で重要な建築となっている。この建築を完成させたわずか6年後に、丹下は吊り構造を用い当時の先端技術を駆使した「国立代々木競技場」、並びにシェル構造の「東京カテドラル聖マリア大聖堂」を完成させたわけだが、戦後の高度成長期の勢いに押されたとはいえ“怪物的”な進化の速さである。
ニューヨーク・タイムズ誌の「世界で最も重要な戦後建築25作品(注1)」に、日本の建築の中から唯一選ばれたことがあったが、この時の選考委員は「欧米の模倣ではない、日本独自の美学を持ったモダニズム建築の最高傑作」「丹下が設計した中でもこれを超えるものはない」と大絶賛し、海外のデザインを単に真似たのではなく、日本の気候や風土、文化に根ざしたオリジナルのモダニズムを提示したことを高く評価した。

当時、まだ新進気鋭だった丹下がなぜ四国の庁舎の設計をするに至ったかというと、建築やデザインへの造詣が深かった香川県知事の金子正則(注2)が、旧制中学校の先輩だった画家の猪熊弦一郎から紹介されての金子の英断だった。建築家を志した頃からル・コルビュジエに影響を受けていた丹下は、モダニズム建築の巨匠の思想を吸収し、西洋の近代建築に日本伝統の構造美を重ね合わせることで、独自の「和製モダニズム建築」へと昇華させることを目論んでいた。

見所がたくさんある庁舎であるが、1階部分のピロティで支えられた広場の天井を見上げると、コンクリートの梁が縦横に美しく交差している。このピロティはル・コルビュジエが提唱し得意とした手法であり、丹下は1階を柱のみにして空間を開放し、壁がないためどこからも入れ、庭と一体化させたことで県民が自由に集える開放的な空間を作り出した。離れたところから見ると、コンクリートの建物が宙にふわっと浮いているような軽快さが感じられるのは、高さ7mあるピロティの効果によるものだ。
コンクリートが持つ力強さと自由な造形性に魅了されていた丹下は、神社仏閣に見られる重なり合う深い軒を、鉄筋コンクリートを使って絶妙に表現した。建物の外側へと何本も突き出す小梁は、日本の伝統建築における軒を支える宮大工の技術の垂木(注3)を応用したものだという。小梁はそのまま内部空間までつながっており、床を支える役割を果たしている。
コンクリートの表面は、型枠に使われた杉板の木目が薄く写り込み、木肌のような温かみがある。硬質で冷たい印象が持たれがちなコンクリート素材で「日本の伝統美」を表現したばかりか、当時のコンクリート技術の限界だった幅11cmの薄い梁が何層にも積み重なる姿は、どこか五重塔を思わせ、日本特有の陰影の美しさと落ち着いた情緒を生みだしている。
エレベーター等の共用設備や構造体を建物の中心部に配置する「コア・システム」を導入したことも画期的だった。コア・システムの外周が壁のない開放的な空間となっただけでなく、2階から上の執務室においてはパーテーションを使って、柔軟に区域分けできるというメリットを生み、68年が経った今でも庁舎として使い続けられている。

丹下は、「建築は単なるハコではなく、社会を動かす都市計画の一部であり、アートと融合すべきだ」と建築と都市をどのように結びつけるかを強く意識し、庁舎前の道路や周辺の都市環境までを見据えた設計を行った。アートとの融合としては、コア・システムの壁4面に飾られた赤と黒が印象的な陶板壁画「和敬清寂(注4)」は猪熊によるもの。ロビーに点在している木製や陶製の椅子、木製棚、石テーブルは丹下研究室が担当し、県庁ホールの椅子や知事室の机・脇机は剣持勇がデザイン。机よりも低めに設定された脇机との組み合わせが洗練された造形美を誇っている。

全精力で丹下が挑んだ和製モダニズム建築の傑作は、地元の人々から歓喜と驚きをもって迎え入れられ、耐震改修工事が実施されて今も愛され続けている。ル・コルビジュエらからモダニズム建築の技術や合理性の影響を受けながら、丹下は日本伝統の意匠や構造表現を巧みに取り入れ、民主主義時代到来に相応しい「開かれた庁舎」を生み出した。その結果、モダニズム建築と日本の伝統工法を融合させた先進的な例として、今もなお高く評価されているのも理解できるのである。
Kagawa Prefectural Government Office East Building
1958年(昭和33)に竣工した丹下健三が設計した歴史的価値の高い建物。柱と梁の構造、庇を持つバルコニーなど日本の伝統的な建物の構造がコンクリートで巧みに再現され、当時の庁舎建築としては斬新な手法が用いられている。陶板壁画やモダンな家具も含め、建物全体がひとつの高度な芸術作品として調和している。また、ほとんどの家具が建築当時から変わらず使われており、建物だけでなく、家具や庭の石灯籠を含めて建物全体が国の重要文化財に指定されている。
香川県高松市番町4-1-10
丹下健三(1913-2005)
大阪府堺市に生まれ、父の転勤によって中国へ渡り、旧制広島高校在学中に、ル・コルビジュエの都市計画の記事に感銘を受け建築家を志す。1938年に東京帝国大学工学部建築科を卒業後、前川国男の事務所に入所。1950年代から数々の傑作を発表し、1961年に自身の研究所を開設。1970年には大阪で開かれた日本万国博覧会の会場計画を担当するなど、急成長する戦後日本においてランドマークとなる建築を数多く手がけ、1987年には「建築界のノーベル賞」と称されるプリツカー賞を日本人として初めて受賞した。
河内タカ
長年にわたりニューヨークを拠点にして、ウォーホルやバスキアを含む展覧会のキュレーション、アートブックや写真集の編集を数多く手がける。2011年に帰国し主にアートや写真や建築関連の仕事に携わる。著書に『アートの入り口』(太田出版)や『芸術家たち』(アカツキプレス)があり、今秋に本連載をまとめた新刊の出版を予定している。
| Text Taka Kawachi Photo Kagawa Prefectural Government Edit Yutaro Okamoto |












