Travel through Architecture by Taka Kawachi
歴史と文化を巡る建築旅行のすすめ

国立代々木競技場
河内タカ
「国立代々木競技場」は、その優美な曲線と主柱から延びるケーブルのラインが時間や季節ごとに異なる表情を見せ、近未来的なシルエットは原宿駅近くの歩道橋からや山手線の車窓から目にするたびにハッとしてしまうほど、渋谷の高層ビル群と代々木公園の緑と溶け合った優美な佇まいが魅力となっ ている。
1964年に開催された東京オリンピックの競技施設として建造され、もともとは「国立屋内総合競技場」という名称で呼ばれていた。設計を担当したのが、日本の伝統建築の要素と西洋のモダニズム建築を融合することで独自のスタイルを築いた丹下健三だ。第一体育館と第二体育館からなり、オリンピックでは第一が競泳と飛込競技、第二がバスケットボール会場として使われ、2021年に開催された二度目の東京オリンピックでもハンドボール会場として使用されたわけだが、完成から60年以上経った今も現役で古さを感じさせないのも考えてみれば凄いことだ。


第一体育館は2本の主柱で支える「二重吊り構造」によって、屋根全体をケーブルで吊り下げられている。吊り橋の原理に従ったこの構造は、ニ本の主柱の間にメインケーブルを架けた後に等間隔でケーブルを渡していくことによって、126mのスパンの約4,000平方メートルもの柱のない大空間が可能となり、どの観客席からも競技が見渡せるという、スポーツ施設として理想的な臨場感を実現させている。
緩やかにそり返る屋根が一際優美だが、この形状は奈良時代の寺社建築の大伽藍の造形が取り入れられているという。かたや「渦巻き型」の独創的なフォルムを持つ第二体育館は、一本の主柱の頂上からのメインパイプがスカートのように広がり、内部空間は直径65mの円形プランとなっている。コートに向かってすり鉢状の観客席が急勾配に配置されていて、柱とパイプの隙間に設けられたトップライトから自然光が差し込む粋な工夫も施されている。
二つの建物がプロムナードでリズムよく結ばれ、芸術作品のような美しいフォルムを形作っている国立代々木競技場だが、しかしそのデザインには大きな懸念があった。それが屋根の強度と不安定さで、強風によって揺れたりたわんだりしてしまう危険性があったのだ。そこで、あらかじめ高強度のPC鋼材を用いて計画的にストレスを与えておく「プレストレス」という技術に加え、屋根の揺れを防ぐためにメインケーブルの端を約2,000トンものコンクリートや土砂のアンカーブロックに繋げ地中深くに埋めることでより頑丈な建物となった。


このような強風や地震にも耐えうる建築を実現させるために、極めて重要な役割を担った人物がいた。それが坪井善勝(つぼい よしかつ)だ。コンピューター解析がなかった時代に複雑な計算をミリ単位で行い、技術と芸術の融合を体現しようとした丹下チームの中でも有能な構造デザイナーであり、丹下の「柱のない巨大な空間を作りたい」という難しい構想を叶えるべく、当時世界でも類を見なかった吊り屋根構造を提案したのも実は坪井だった。この競技場の他にも「東京カテドラル聖マリア大聖堂」や「万博お祭り広場」といった難易度の高い丹下建築には坪井の貢献に負っていたのは疑いのないことだろう。
日本の伝統とモダンを融合させ、当時の世界最先端技術が注ぎ込まれた創造性に際立った国立代々木競技場は、敗戦から立ち直り、国家の威信をかけての一大プロジェクトとして、高度経済成長を遂げた日本の自信や誇りを世界に示した象徴であったわけで、その歴史的な価値を踏まえると、戦後の日本のモダニズム建築の最高傑作と言っても決して言い過ぎではないはずだ。

Yoyogi National Gymnasium
国立代々木競技場
1964年の東京オリンピックを機に建築された丹下健三の代表作。大小二つの体育館とそれを結ぶプロムナードを巧みに配置し、二つの半円形をずらして組み合わせた動線を持つ第一体育館は、中央が伸び上がる壮大な内部空間を創出している。1本の巨大な主柱から螺旋状に屋根を吊る渦巻き状の、世界でも類を見なかった「セミリジッド吊り屋根構造」を採用した第二体育館とともに、2021年に国の重要文化財に指定され、現在はユネスコ世界文化遺産への登録を目指す活動も進められている。
東京都渋谷区神南二丁目一番
丹下健三(1913-2005)
大阪府堺市に生まれ、父の転勤によって中国へ渡り、旧制広島高校在学中に、ル・コルビ ジュエの都市計画の記事に感銘を受け建築家を志す。1938年に東京帝国大学工学部建築科を卒業後、前川国男の事務所に入所。1950年代から数々の傑作を発表し、1961年に自身 の研究所を開設。1970年には大阪で開かれた日本万国博覧会の会場計画を担当するな ど、急成長する戦後日本においてランドマークとなる建築を数多く手がけ、1987年には「建築界のノーベル賞」と称されるプリツカー賞を日本人として初めて受賞した。
| Text Taka Kawachi | Photo JAPAN SPORT COUNCIL | Edit Yutaro Okamoto |












